読み・だいにちかわら
場所・姫路市野里
撮影・2009・04

実戦経験なきことが、防人としての誇りでした。

僕の大好きな怪獣映画で、怪獣と一戦を交えることになった
自衛隊(映画の中じゃ国防軍)が悔しそうに云うセリフ。

ものすごくカッコいいんで水を差したくないんですが、

「働こうと思えば、働けるんだぜ」

と、開きなおるニートみたいで、ちゃんと戦えるのか不安になります。
現に人の弱みをネチネチつく天才、刑事コロンボがこんなコト言ってます。

「我々刑事は殺人事件のプロでね、
年に100件は体験してる。これはすごい修行だ。
ところが犯人はね、どんなに頭が良くても殺人は初めてだ。
アマチュアなんですよ」


・・・ますます不安になりますね!

さあて、最後の実戦から60年。
経験がないまま100年以上過ぎると、どんなカンジになっちゃうか?

西国最前線のハズだったのに、
最後まで戦わなかった姫路藩がちょっこと垣間見せてくれます。
さてご覧あれ。 

姫路藩大砲遠距離射的場、大日河原でございます。
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ホントに姫路藩、血なまぐさいことはとりあえず、市川でやろうとしてますね!

ここ大日河原も、処刑やら砲撃やら、一般市民が近寄りがたいイベントが目白押し。

演習ともなれば、河原から向かいの高木山まで(距離約760m)、盛大にぶっ放してました。

って・・・高木村・・・人が住んでたハズなんですが。

士農工商の時代にゃ、関係ないんですかね。
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他にも、野里の日吉神社から、伊伝居山までぶっ放した記録も。

無人戦闘機を飛ばすような軍隊でも誤射するのに、お前らホントに大丈夫なのか?

残念ながら、記録が残ってないので、どんだけ農民の頭上に降り注いだかは解りませんけどね。

たちの悪さは北の某国並ですよ。
と、地図上では大日グラウンドがあるはず・・・
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って、見事ないきなり桜並木がお目見えですか!

312号から土手で隠れたこのグラウンド。
意外に発見しにくいのか、花見客もほとんどいない。

何せ、軍隊が人家に向けて、大砲撃ってた現場ですからね。

あまり大っぴらになってるハズがないんですよ。
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でも、ちょっと回り道をすりゃ、でもたどり着けます。

姫路の桜スポットは、車じゃ行きにくいトコが多いので、中々、ポイント高し。

ところで姫路藩、300年の長きに渡る安寧な日々に
頭のネジが緩みきったのか、演習でアホなことを思いつきます。
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「熟達者には、砲弾の重量を名前に冠することを許す」

つまり、「俺はこんだけの威力の弾を撃てるぜ」と自慢させたワケですね。

つまり、・・・・兵器が自分で、性能を明けらかしたワケですね!

戦いの世界では、自身の性能を誇張はすれど、明確にはしないのが普通。
何せ、性能がバレバレだったら、相手はそれを考慮して戦術を練れば、
事実上、その兵器を無効化できるんですから。

「俺の弾はここまでしか届かないぜ!」

と、高らかに宣言してるようなもんですよ。
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野口二貫左衛門ってな具合に。

・・・でも二貫って、意外に頑張ってます。
何せ約7kgの弾をぶっ放すわけですから。

しかも、姫路藩で最も多く、二貫の名前を戴いている流派は関流で、膝上砲射を専門にしていたとか。

膝の上で大砲をぶっ放す!?
どうやってやってたか、資料が手元にないんで想像もつきませんけど、
戦後は大道芸で食っていけますよ!一回でいいから、見てみたい。

←話が逸れますけど、この桜並木、シンプルに見事です。
荒んだ話ばっかりな世の中で、心が洗われそうですゼ。
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グラウンドではどっか陸上部が練習中。この桜の中でとは贅沢ですな。

そういえば穴居人は知りませんでしたけど、砲術にも流派があったらしいですね。

姫路藩には、
荻野流、関流、不易流、
高島流、佐々木流、自得流、井上流

の7流が伝わっていたらしい。

鉄砲ぶっ放すのに、流派があるだけでも驚きですけど、
幕末の動乱もほど近い時代に、西洋式砲術を採用していたのが、高島流だけとは・・・・

後の連中は戦国時代仕様ですか?
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土手越しには、対岸の桜も映える、こんな景色も。

入学式の日に、わざわざこんなトコを歩かせて、ムービーをとりまくるのもオツかも知れません。

ちなみに300年間、一度も大砲を使うことのなかった姫路藩。

しかしついに戦いの時がやってきました。
時は幕末。長州征伐です。

まあ、大将がトンズラこいたので、
岡山から逃げ帰っただけなんですが。

結局、300年磨きに磨いた腕を、披露する機会はないのか・・・
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否!まだ篭城戦がありますぜ!

姫路藩といえば、当時バリバリの佐幕派。
何せ将軍の逃避行に、姫路藩主がちゃっかり同行しちゃってますからね。

それぐらい、幕府の重鎮。しかも西国最前線!

もう京都で一戦交えて負けちゃってる後なんで、
最前線なんかは微妙ですが、まだ戦えます!

薩長連合軍をここで食い止めるのだ!

余談ですけどココ、菜の花もキレイです。
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なのに、あっさり開城しちゃいました。

しかも、700m圏内(男山と景福寺山から)という
まるでこの演習場を見越したかのような距離からの射撃を受けての開城。

さぞや屈辱的でしょう。

「撃ちてぇんだよ。俺の方がもっと上手く当てれんだよ!」

とまあ、一武士がのたまわったのかも知れませんが時代の流れについていけず、
結局一度も役に立たないまま、終戦を迎えるハメに。

ちなみにココが対岸、大日河原の桜といえば、コッチの方がなじみがあるかも。
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何より、可哀想なのは、近代戦に投入される新式の大砲に彼らのテクが通用しなかったことですよ。

まあ、近代兵器は膝では打てんです。

というわけで、大砲の流派はもうほとんど現存してません。
残ってたら、祭りの時とか引っ張りだこなんやろうに・・・。
残念でたまりませんよ。
まあ、300年練習して、曲芸扱いじゃそれこそ屈辱的なのかも知れませんが。

最後は312号から。コチラは見慣れた方も多いはず。
今度は是非、この裏側にも足を運んでやってくださいな。